私が開院した理由

目の前が真っ白に!

自転車で転倒

あれは私が中学3年の冬、高校受験を約1ヶ月半後に控えた
1月中旬のある日の下校途中でした。

自転車に乗っていたはずの自分の目の前が、
真っ白に!

しばらく何が起こったのかさえ分かりませんでした。
ふと我に返ると、地面に座り込んでいました。

もちろん転倒したのですが、倒れた自転車が起こせない。

 

右手を見ると、何だか変形している様で力が入らないのです。

手首の関節の少し手前辺りから、“くの字”に曲がり
手の甲はかなり地面を向き、手のひらが目に映り
5本の指も自分の胸の方に向かい、
今まで見た事もない状態でしたが、痛みはほとんど感じず、
きっと脱臼したのかな?程度に簡単に考えておりました。

その場所から自宅までは数十メートル程でしたので、
何とか自転車を引きずって帰宅しました。

 

「折れているんじゃない?」

自宅の隣は、母親が美容師で、店を経営しておりましたので、
店の中に入り、自転車で転んだことを伝えました。

母は一言
「腕の骨、折れているんじゃない?!」と。
私は耳を疑いました。


しかし、痛みはほとんど感じないため、
骨折ではないのでは?と解釈しておりました。

 

すぐに自宅から300メートル程離れた
整骨院に駆け込みました。

夕方6:00頃であったため、院内は混み合っていて、
約40分位待ちました。

院長先生は僕の手を見るなり第一声が「骨折だね!」

 

その後念入りに検査をしてもらいましたが、
やはり骨折でした。

 

本当にショック・・・

腕には2本の骨が平行に走っていますが、
両方共見事に骨折していました。

私はもう少し、軽い怪我だと思っていました。

『信じたかった根拠のない希望』が、崩れ去った瞬間でした。

その頃になると、ほとんど痛みを感じていなかった手首が、
みるみる腫れ上がり、疼き、激痛へと変わりました。

痛みは増す一方で、気持ちは落ち込んでいる中、
先生に骨折の整復(直す)をして頂くのですが、今まで
体験したことのない痛みや震え貧血を起こしそうになりながら、
悲鳴を上げていました。

気がつくと、患部やその周辺もがっちりと固定され、
先程までの辛さは随分楽になりましたが、
脈を打つ様な痛みはまだありました。

家に戻った頃には夜8時を回り、夕食の時間も随分
過ぎていましたが、食欲は無く、
頭の中では絶望感が渦を巻いておりました。

 

受験は諦めるしかないのか・・・

どうしたら良いのだろう!受験は諦めるしかないのか。
でも浪人生活は嫌だ!
そんなことが頭で渦を巻き、その日の夜は、
あまり眠れませんでした。

そんな気持ちのまま翌日も整骨院に向かいました。

 

処置をしている間ずっと黙り込み、ただ怪我をした
患部だけを見つめるしか出来ませんでした。

手はゾウの足の様に太く腫れ上がり、
今まで見た事もない光景が目に映り、
感覚も鈍く,どうしようもない気持ちで一杯で、
今にも泣きそうでした。

すると院長先生は僕の気持ちを察したのか、
「3月初旬受験だよね!」と訊ね、
私は小さな声で「ハイ」と答えるのが精一杯で、
気付くと、こらえていた涙が溢れ出ていました。

 

とにかく任せなさい

そんな私の姿を見て先生は
「受験当日は鉛筆が持てるようになるから
心配ないよ!とにかく任せなさい!」と言って下さいました。

それからも毎日整骨院に通うたびに、今可能な限り
出来る勉強のアドバイスなどして下さいました。
(暗記や時には左手で文字を書く練習もしました。)

その頃
自分も将来こんな先生のようになりたい!
痛みに苦しんでいる人を助ける仕事に就きたいと、
感じていました。

先生の治療のおかげで受験当日は、しっかり
鉛筆を持ち,試験に挑む事ができ無事合格しました。

通学は最寄り駅まで自転車で通学していましたが、
あの時のアクシデントは忘れていました。

 

自分の将来について真剣に

高校1年の冬を迎え,アクシデントから1年が
過ぎようとしていた頃、怪我をした所が、 急に痛み出しました。
(寒さで血行が悪いとそんな症状が出ます。)

進路指導の時期にふと当時の様子が
思い出され、自分の将来について
真剣に考えなければならない時と重なりました。

その時通っていた塾の先生に相談をすると、
塾長の知人に、長野に戻り、整骨院を
開業された先生がいらっしゃると聞き,
その先生を紹介してもらいました。

ほどなくして,その整骨院にお邪魔させて頂き、
先生に相談しアドバイスを頂きました。
(どの地域に学校があるのか、受験勉強の対策、勉強方法など。)

 

決心していました

先生の話を聞きながら、もう既に自分の心は
治療業界に身を注ごうと決心していました。

私の骨折を治してくれた整骨院の先生の様になりたい!
と強い想いが芽生えていました。

・人を助ける仕事がしたい。
・僕の骨折を治してくれた先生の様になりたい。
・ケガや痛みで苦しんでいる人を助けたい。
・子供からお年寄りまでスポーツ・趣味・仕事など元気に過ごして欲しい。

ちなみに幼い頃から将来の自分の夢は
”自分のお店を持ちたい”でした。

自分の夢は

・柔道整復師と言う国家資格
・開業ができる(自分のお店を持てる)
・医学を学ぶことができ、あこがれの白衣を着られる
・人から感謝される仕事

整骨院の先生になるという事は
自分の夢をかなえる事だと思いました。

 

自分の進む道

父親が公務員でしたので、公務員試験だけでも
受験してみなさい!と勧められたこともありましたが,
反抗心もあったのでしょうか。

自分の道は自分で決める
父親の勧める仕事や生き方は選ばない!
と思っていました。

結局 周りのアドバイスを頂きながら東京渋谷区の
日本柔道整復専門学校に入学することができました。

 

苦労をしました

高校までの勉強の内容とはまるで違い,
医学の勉強はとても新鮮なのですが、さっぱり分らず、
医学用語の漢字さえ読めないほどのレベルで,

 

特に解剖学では心が折れそうなくらい理解できず,
入学3ヶ月にして、いらだちと絶望感を噛みしめる
日々が続き、苦労をしました。

同級生、先輩、講師の先生方のアドバイスや、
励ましをもらいながら、
最終学年まで無事進級し、国家試験前の3ヶ月の期間は、
人生でもっとも勉強した時期でした。
(一日13時間は勉強をした日も多々ありました)

そんな苦労が実り国家資格に合格しました。

 

救急指定病院

専門学校卒業後、沢山の骨折・脱臼の症例を勉強したい
と思い,救急指定の整形外科病院に研修に入りました。

国家資格は有るものの、未経験の私にとっては
見るもの、聞くことが授業での理論臨床とは全くと
言っていい程の相違。
 
先輩の先生からは「臨床(現場)を観ろ
理論(理屈)は捨てろ!」と喝を入れられる毎日で
僕の頭の中では、なぜ?なぜ?の疑問で頭が
一杯になってしまい、「もっと肩の力を抜いて
仕事をしないと頭も体も働かないぞ」
と言われていました。

救急指定病院でしたので、昼夜問わず様々なケガで、
来院する患者さんの表情などを見ていると、
自分が骨折をした時の光景が
思い出される時もありました。

 

必死で勉強しました

そんな時、早く一人前の治療家になって
痛みで苦しんでいる人を助けたい。
そんな思いが強くこみ上げ、必死で勉強しました。

研修を積み重ね、骨折・脱臼の鑑別をしっかりと
身につけることができましたが、肩こり・腰痛・頭痛・膝痛
などで、悩まれている方へのアプローチについては

 

首や腰の牽引、電気治療・ホットパック・マッサージ
腰痛体操や、肩のストレッチ体操の指導が主で、

 

症状の改善が見込まれない場合は、注射、投薬、
手術になってしまいます。

私は医師ではありませんので、投薬・注射・手術はできません。

この様な症状でお悩みの患者さんを救うには、
ここでの研修では限界があると感じつつも
毎日の忙しさに流されておりました。

 

矯正

そんな矢先、専門学校時代の同級生に会う機会がありました。

友人の一人は、カイロプラクティックの技術を研修中と聞き、
早速デモンストレーションで、私が体験することになりました。

何が起こったのか分らないスピードで首を矯正されましたが、
矯正後は首周辺がとってもスッキリし驚きました。

私の矯正初体験であり、凄い!と感じた瞬間でした。

 

師匠との出会い

しばらくして実家から連絡があり、長野で整骨院を
開院されている先生の元に、伺う機会がありました。

その時の出会いが、
私の人生を変える師匠との出会いでした。

『師匠』の整骨院の治療を見学することができました。

 

身体の色々な場所の痛む所を必ずと言っていい程
矯正します。

 

今まで私が見た事もない矯正法でびっくりしました。

「荒治療」
と言う言葉がピッタリかもしれません。

 

しかし矯正後の患者さんの笑顔は、
今までの病院の患者さんからは、見たことが無い
笑顔でした。

凄い!
私が手にしたい技術はこれだ!と感じた瞬間でした。

 

その光景を、忘れることは決してありませんでした。

 

「整骨院で研修しないか?」

東京に戻った後も、あの時の光景は頭の片隅に
ありましたが(矯正と患者さんの笑顔)

 

偶然の縁で矯正を見せてもらうことが
出来たのだなと思っていました。

病院での業務は相変わらず忙しい日々を過ごして
おりましたが、あの時の光景は決して忘れることは
ありませんでした。

そんな矢先、『師匠』先生より連絡をいただき
「整骨院で研修しないか?」と誘っていただきました。

想いは叶うとはこのことでしょうか!

私はこの師匠の元で学びたいと思って
おりましたので、すぐに仕事の段取りを取り、
2ヶ月後にはすでに、『師匠』の元で研修をしていました。

以前は医師が検査・診断し、その指示通リの
リハビリをする流れであったのに対し、
ここでは全ての検査・診断を私がする必要があり、
検査・診断をした経験が無かったので、大変苦労しました。

師匠の治療を見ている時と、実際に私が患者さんの
体に触れ治すことは、天と地ほどの違いがあり、
むずかしさを改めて実感しました。

 

猿まね

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」つまり真似をするという
意味だそうです。

私は、矯正法を早く習得しようと、手つき喋り方などを
イメージし、徹底的に“まね”をすることが、
技術の習得の一番近道と考えました。

微妙な力加減、骨を動かす角度、しゃべり方など
全てを真似ることを心がけました。

 

色々な経験をしながら、次第に技術を
習得することができました。

おかげ様で、数年後には外来の患者さんのほとんどは
私に任せていただける事が多くなり、師匠はいつも
往診に出かけている日が多くなりました。

その時の経験が、将来開業した時のための
イメージトレーニングができた時期でもありました。

 

教えるむずかしさ

2年後、私に後輩ができ、その時初めて人から教わることが
いかに楽であるのか、と同時に人に物事を教えるむずかしさ
大変さが、身にしみた時でした。

その体験が、自分の技術を更に向上させる
きっかけでもありました。

それから3年後師匠・両親・周りの方々の
支えをいただきながら
長野県須坂市で開業する事ができました。

 

責任

開業をしてみると、研修時には味わったことがない
責任が重くのしかかって、ついて来ます。

研修時は困った時は、師匠に診てもらえばいい、と
心のどこかでそう思っていた自分がありました。

開業後に度々「調子はどうだ!」と師匠から
連絡が入ることもあり、相談をさせて頂いた出来事は、
今でも昨日の事のように思い出されます。
師匠の心の暖かさをあらためて痛感し、今でも
感謝の心は忘れておりません。

 

本気で治す

患者さんに喜んで頂く治療を提供したい
“本気で治す”接骨院”が私の信条です。

医学の進歩は日進月歩。世の中には様々な治療法が
ありますし、今以上に患者さんに満足と、喜びを
提供し続けたい気持ちは、一生変わらずブレることはありません。

休日などは出来る限り時間を見つけ、大阪、名古屋、東京方面に
でかけ様々な治療法の勉強会に参加し、当院に持ち帰り
地域の皆様の健康に少しでも貢献できます様、日々
精進させていただいております。

治療家を目指し、開業できた当時のビジョンを、
これからも持ち続け、精進して行きたいと思います。

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